ここでは、マイコン・パソコンの歴史についてお話しします。
1976年雑誌I/Oを見つけた頃にさかのぼります。
当時NECからTK−80と言うマイコンキットが売り出されていました。
ところが、不器用な私には買う気がしませんでした。
1977年になって日立からH68/TRというボードが出ました。
CPUにMC6800、メモリー1KB、ロム4KBにアセンブラー
入出力に7セグメント電卓を改良したものと、オーディオカセット入出力(300ボー)が付いていました。
当時機械語を16進数で入力していたことを思うとアセンブラーが付いていることは画期的な事でした。
ところが電源がありません。直流安定化電源を別途購入するはめになりました。
その後、TV表示の為のボードが発売になりました。
これはいいと購入しますが、接続のためバスドライバー回路としてTTLをつける必要がありました。
そのために「半田ごて」まで購入。
その上、安定化電源は容量不足のため買い替え。
素人はこんなもんです。おおじょうしまっせ!
その後ベーシックロム・キーボードと購入総額30万弱の出費でした。
I/O別冊に自作ゲームソフトを発表する
BASICゲーム徹底研究シリーズに登場する。
昭和53年12月でした。
その後日本電気よりPC8001が発表になり、購入する。
いよいよマイコンからパソコンへ変身する時期でした。
すなわち、ボードむきだし、あるいは自作キットから、ベーシックプログラムをロムで提供し筐体に電源も収まり、テレビへの出力が当たり前になったことです。
価格は本体16KBラムで168000円でした。
そのことを思うと今のパソコンのコストパフォーマンスは素晴らしいものがあると思います。
PC8001を使ってこんどは昭和56年3月
マイコンゲームの本1で、またも作品を発表する。
この作品はFM8に移植されカセットテープでゲームソフトとして販売される。
写真は会社にあった FM−8 ディスプレイには当時のオフコンのOS UNIOS/F4 DCMの
エミュレートではなくモギレート すなわち冗談で表示したものです
後にグラフィック機能やベーシックレベルの力不足から、富士通製のFM−7を購入する。
その後、機能強化のため漢字ロムや、フロッピィディスクドライブ・プリンターなどをつける。
時代はMSXなどを経て16ビットマシンPC9801の時代に移りました。
当時、買い替えを考えましたが、とりあえずFPDを付けていたので、個人の情報処理では使用に耐えれると判断し買い替えをしませんでした。
その代わり、ワープロ専用機を購入(エプソンワードバンク)しました。
これも、昭和62年には、ワードバンク−Gにレベルアップし住所録などの管理に利用する。
時は流れて32ビット時代へ
富士通からFM−TOWNSが発売となった
ついにFM−7よりタウンズに替える。
メモリーは一気に2メガバイトと飛躍的な増加となる。
漢字変換も当たり前、グラフィックスは32000色表示と今までのレベルでは考えられない環境となりました。
世の中はペンティアムへ
凄まじい科学技術の進歩はCPUの世界を日々変えていきます。
インテルのCPUチップはどんどん進化し
8008->8086->80186->80286->80386(80386SX)->80486(486SX)
と移り今やペンティアム(順番でいけば586ですが五角形を意味するペンタゴンよりネーミングされたと聞きます。)
というものの今の私のマシンはFM−TOWNS2 Fresh・ET
これは、486DX2
確かに、インターネットをするには少し力不足です。
モデム、メモリー、プリンター、ディスク増設
キャプチャー機能、スキャナー増設でグラフィック機能を強化
でも、世の中の流れに目が移り
1998年8月 富士通FMV−DESKPOWER SV267購入
やっぱりキャプチャーボードは取り付けました。
CPU i486DX 66MH → PentiumU 266MH
メモリー 24MB → 32MB
CD−ROM 2倍 → 32倍
ディスク容量 1300MB → 3200MB
モデム 28800BPS → 56000BPS
ビデオラム 1MB → 4MB
ディスプレイ 15インチ → 17インチ
その後 回線をISDNi変更 メモリーを 64MB追加 CD−R/RW追加 ディスクを27MB増設 ADSLに変更
2005年12月 やはり富士通製 FMV−DESKPOWER LX50M 購入